三浦建太郎先生と森恒二先生の出身高校は?日大付属のあの高校?

漫画「ベルセルク」作者の故・三浦建太郎先生と、森恒二先生は、高校時代からの親友だそうですが、高校名が書かれた記事は見当たりません。

また、お二人と同級生の「セスタス」技来静也先生や、2年下の後輩の「め組の大吾」曽田正人先生も同じ高校ですが、同様に高校名は見当たりません。

そこで、三浦先生や森先生のインタビューや対談などをもとに、出身高校を考察してみます。

三浦建太郎先生と森恒二先生の出身高校はどこ?

結論から言いますと、「日本大学鶴ヶ丘高等学校」がお二人の出身高校と考察しました。

考察ポイントは以下の通りです。

■都内の高校に通っていた?
■高校は美術学科に在籍
■大学は日大藝術学部 ⇒ 高校は日大付属?
■美術学科は卒業した後にしばらくしてなくなった

 

日本大学鶴ヶ丘高等学校
所在地:〒168-0063 東京都杉並区和泉2-26-12
最寄駅:京王線/京王井の頭線・明大前駅(徒歩9分、700m)、京王線・代田橋駅(徒歩11分、850m)

 

都内の高校に通っていた?

東京都内の高校、さらに、小田急線、京王井の頭線、京王線、中央線沿線の、世田谷区や杉並区の高校に通っていた可能性が高いのではと考えます。

 

──三浦先生はどのような幼年時代を送られていましたか?

三浦 はっきり言って頭の悪い子でした(笑)。出身は千葉で、小学2年生まで千葉の八千代台にいました。中学2年までは神奈川の梶ヶ谷、大学までは町田の鶴川、そしてマンガ家になってからは転々としています。

三浦先生の高校生当時の住まいは「町田の鶴川」とのことですので、高校に通うなら最寄りの鶴川駅から小田急線に乗って東京都内または神奈川県内へ通う可能性が高いと思われます。

また、同級生の森先生は東京都出身、後輩の曽田先生も東京都文京区出身、そしてお二人とも都内の大学に進学しています。
高校生当時の住まいは不明ですが、都内住みで都内の高校に通っていた可能性が高いのではと思われます。

 

映画は三浦くんといつも一緒に見に行ってたんです。見終わるとあれはどうだった、とか喧々諤々やるわけですよ。そして忘れもしないのが高3のとき。三浦くんと一緒に新宿の映画館へ行ったんです。

三浦先生や森先生が高校生だった1980年代前半は、大きな繁華街でないと映画館がなかった時代です。

そんな時代に、渋谷でも池袋でも銀座でも上野でもなく、新宿に映画を見に行ったということは、新宿に行くのが便利だったのだと思います。

お二人の高校から新宿に行くのが近かったのでは?とも思えます。

 

そして、森先生の高校時代の行動範囲ですが、

僕はユウみたいなナイーブないい子ではなかったですけど、理由としては似たような感じで、下北沢をフラフラするようになっちゃったんですよ。

(中略)

 
当時、世田谷のスポーツクラブみたいなところに行けば、大学生のお兄さんが国際式ボクシングを教えてくれるって話を聞いたんですよ。それで殴り方を教えてもらおうって(笑)、通うようになったんです。

(中略)

 
あれは僕の経験そのままなんですよ。あまりにつけ狙われて、たむろする場所を吉祥寺に変えたんです(笑)。

「下北沢」「世田谷」「吉祥寺」という地名がでてきます。

さきほどの「新宿」も含めて考えると、小田急線、京王井の頭線、京王線、中央線沿線の、世田谷区や杉並区に、学校か自宅があるのでは?と思われます。

 

高校は美術学科に在籍

三浦先生が対談で「美術学科のある高校」と仰っているので、三浦先生の高校時代(1966年7月生まれ ⇒ 1982年4月入学-1985年3月卒業)に美術学科があった高校にしぼられます。

当時、都内で美術学科があった高校は、

・東京都立芸術高等学校
・日本大学鶴ヶ丘高等学校

の2校だけだったようです。
(女子校除く。確認できた限り。)

鳥嶋 ……で、具体的にマンガ家になるために動き始めたのはいつ頃ですか?

三浦 きちんと行動し始めたのは高校生ですね。普通の学校でマンガ家を目指している人と出会うのは、結構難しいじゃないですか。僕は同じ目標の人を見つけるために、美術学科のある高校に通うことにしたんです。すると本当にいて、一緒に切磋琢磨していくうちに「マンガ家になる」という自覚が強くなっていきました。もっとも最後までマンガを続けたのは僕と、そこで出会った森恒二くん(「自殺島」ほか)の2人だけでしたが。

--高校生の時、マンガを描いていた?

技来さん 高校の美術学科にいたのですが、当時は全然描いていなかった。高校のクラスで、マンガ好きグループがあって、僕はその輪の中にいなかった。

三浦さん 技来君は優等生でしたよ。先生にも期待されていた。工業デザインの仕事にすんなりいくと思われていました。

技来さん 高校の時、マンガ好きグループで賞を取ったのは彼だけだった。突出していた。

三浦さん 下の学年には「め組の大吾」の曽田正人君もいました。マンガ家が集まっていた。不思議ですね。

※調べたところ、下記高校は当時美術学科がありませんでした。

東京都立総合芸術高校
 ⇒2010年4月開校
東京都立工芸高校
 ⇒当時の学科に美術学科なし
東京都立片倉高校
 ⇒1992年4月造形美術コース新設
東京都立晴海総合高校
 ⇒1996年4月開校。前身校に美術学科なし
東京都立つばさ総合高校
 ⇒2002年4月開校。前身校に美術学科なし
東京都立若葉総合高校
 ⇒2005年4月開校。前身校に美術学科なし
東京都立八王子桑志高校
 ⇒2007年4月開校。前身校に美術学科なし
東京都立東久留米総合高校
 ⇒2007年4月開校。前身校に美術学科なし
東京都立世田谷総合高校
 ⇒2008年4月開校。前身校に美術学科なし
東京都立王子総合高校
 ⇒2011年4月開校。前身校に美術学科なし
八王子学園高校
 ⇒1996年芸術コース新設

 

大学は日大藝術学部 ⇒ 高校は日大付属?

東京には美大がいくつもあるのに、先生方が(おそらく)四人とも日本大学芸術学部に入学しているのが不自然に感じます。
これは、高校が日大付属高校なのでは?とも考えられます。

■三浦先生:日本大学藝術学部美術学科
■森 先生:日本大学藝術学部美術学科
■曽田先生:日本大学藝術学部デザイン学科インダストリアルデザインコース
■技来先生:?

※ 技来先生の出身大学が書かれたソースは見当たりませんでしたが、以下の対談記事から、三浦先生と同じ日本大学芸術学部で工業デザインを専攻されていたものと思われます。

高校・大学と一緒で三浦先生のデビュー時に技来先生がアシスタントに。

(中略)

 
三浦:仲良くなったきっかけは大学の学園祭で一緒にお化け屋敷で参加した頃かな。

(中略)

 
三浦:僕自身はビジュアル科だったので、絵を描く機会はたくさんあったけど、彼は工業デザイン科だったので、マンガから遠いことをしていたよね?

 

美術学科は卒業した後にしばらくしてなくなった

技来さん 美術学科は僕らが卒業した後にしばらくしてなくなったんだよね。

三浦先生や森先生は1985年3月高校卒業ですので、美術科が1985年に募集停止になったという日本大学鶴ヶ丘高等学校が条件にあてはまると思われます。

都内で美術学科があった東京都立芸術高等学校は、2012年3月に閉校になったそうです。

技来先生が「しばらくして」というには年度が離れていると思いますし、閉校であれば「美術学科はなくなった」とはおっしゃらないと思いますので、東京都立芸術高等学校は出身校ではないと思われます。

音楽科・美術科
1968年に設置から1985年の募集停止までの19年間にわたり存在した。

今回から鶴ヶ丘の歴史を探る”Historia鶴ヶ丘”が新連載。今回は校名の由来、1968~1985年にあった芸術課程の誕生に迫ります。

 

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